2018年ロシアワールドカップで、日本代表の監督だった西野朗(にしのあきら)さん。
Jリーグの様々なクラブの監督を率いた経験もあり、その中で数々のタイトルを獲得しています。
西野さんは2019年7月にタイ王国代表の監督に就任しました。
海外の、しかも代表監督に就任したということで驚いた方も多いのではないでしょうか。
監督として実績のある西野さん。
現役時代はどのポジションでプレーしていたのか?
監督になってからの成績はいいのか悪いのか?
あまり知らない方もいると思います。
そこで今回は、サッカータイ王国代表の新監督に就任した西野朗さんのプロフィールと、現役時代や監督としての経歴について調べてみました。
サッカートークをする時の参考にしてみてくださいね。
西野朗(タイ代表監督)のプロフィール
名前:西野朗 生年月日:1955年4月7日 出身地:埼玉県浦和市(現さいたま市) 身長:182cm 体重:72kg 現役時代のポジション:MF(ミッドフィルダー) |
西野朗監督は1955年生まれです。
同い年には元日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏や、解説者の早野宏史さんなどがいます。
サッカーとは関係ありませんが、ドラゴンボールの作者の鳥山明先生も西野朗監督と同い年です。
西野朗の現役時代の経歴
1971年 - 1973年 埼玉県立浦和西高校 1974年 - 1978年 早稲田大学 1978年 - 1990年 日立製作所(現柏レイソル) |
西野監督は、浦和西高校時代に全国高等学校サッカー選手権大会でベスト8の成績を残しました。
その後、早稲田大学に進学。
早稲田大学時代には、日本代表に選出されるほどの実力者でした。
1978年、日立製作所(現柏レイソル)に入団。
1985年に日本サッカーリーグ1部で8試合連続得点を記録。
この年に12得点をあげて、ベストイレブンに選出されています。
1985年の日本サッカーリーグベストイレブンには、馴染みある方々が選出されています。
岡田武史さんや木村和司さん、加藤久さんなど。
サッカーファンなら一度は聞いた事がある方々ではないでしょうか♪
話がちょっと脱線したので西野監督の話に戻します。
西野監督は日立製作所で13年プレーをして、1990年に現役を引退。
通算成績は
出場試合数:143試合 得点:29得点 ※日本サッカーリーグ1部での成績です |
でした。
移籍が多い今のサッカー界で1つのクラブで現役を終えるというのはあまり考えられないことです。
当時は現在ほど移籍が活発に行われなかった時代なのでしょう。
西野朗の監督としての経歴
西野監督は、Jリーグのクラブや日本代表の監督を歴任してきました。
年度 | 率いたチーム |
1991年 - 1992年 | U-20日本代表 |
1994年 - 1996年 | U-23日本代表 |
1998年 -2001年 | 柏レイソル |
2002年 - 2011年 | ガンバ大阪 |
2012年5月 - 11月 | ヴィッセル神戸 |
2014年 - 2015年 | 名古屋グランパス |
2018年4月 - 7月 | 日本代表 |
2019年7月 - | タイ代表・U-23タイ代表 |
現役引退の翌年(1991年)にU-20日本代表監督に就任します。
現役の時から監督になるためのライセンスを取得していたのでしょうね。
U-23日本代表監督時代には、1996年のアトランタオリンピックでU-23ブラジル代表に勝利。
「マイアミの奇跡」と呼ばれた試合で日本代表の監督をしていたのが西野監督です。
2018年にはロシアワールドカップで指揮をとり、日本代表をベスト16に導きました。
ベスト16でベルギーに敗れた後「何が足りないんでしょうね」と言っていたのが印象的でした。
西野朗のJリーグクラブでの獲得タイトル一覧
年度 | クラブ名 | タイトル名 |
1999年 | 柏レイソル | ナビスコ杯(現ルヴァンカップ) |
2005年 | ガンバ大阪 | J1リーグ |
2007年 | ガンバ大阪 | XEROX SUPER CUP |
2007年 | ガンバ大阪 | ナビスコ杯(現ルヴァンカップ) |
2008年 | ガンバ大阪 | パンパシフィック選手権2008 |
2008年 | ガンバ大阪 | アジアチャンピオンズリーグ |
2008年 | ガンバ大阪 | 天皇杯 |
2009年 | ガンバ大阪 | 天皇杯 |
西野朗が監督として獲得した個人タイトル
年度 | クラブ名 | タイトル名 |
2000年 | 柏レイソル | Jリーグ最優秀監督賞 |
2005年 | ガンバ大阪 | Jリーグ最優秀監督賞 |
2008年 | ガンバ大阪 | AFC最優秀監督賞 |
Jリーグ通算成績 270勝 91分 163敗 ※勝利数歴代1位(2019年時点) |
西野朗監督がJリーグの監督時代に獲得したタイトルの数は「8個」です。
Jリーグの3大タイトルをは全て取っています。
ガンバ大阪監督時代は、ほぼ毎年何かしらのタイトルを獲得していますね。
昔は
西野監督 = ガンバ大阪
のイメージが強かったです。
2010年以降はタイトルを獲得できておらず、成績もだんだん尻すぼみになっています。
名将と呼ばれる西野監督にとっては寂しい結果になっちゃってますね。
ガンバ大阪を退任されてからは、西野監督自身Jリーグクラブでやることにモチベーションが上がらなかったのかもしれません。
タイ代表監督を引き受けた理由
タイ・サッカー協会のソムヨット会長は、新しいタイのサッカーを築きあげるために西野監督にオファーをしました。
タイサッカーを発展させ、日本代表のようにワールドカップで成績を残せるチームにして欲しいという思いがあるのでしょう。
西野監督もその熱意に応える形でオファーを受諾したのではないでしょうか。
西野監督はタイ代表監督就任会見で次のように語っています。
「タイのサッカーは日本にとって大きな壁でした。
https://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20190719/958762.html
でも、自分が思っている以上に成長していないとも感じました。
ワールドカップ予選でも対戦して、良さも出されましたし、オリンピック代表監督のときも予選で闘って苦しめられました。
ポテンシャルがあるサッカー界だと思います」
西野監督自身もタイのサッカーに対して可能性を感じているようです。
今後、ワールドカップ予選で日本代表と対戦する可能性もありますので、その時にどんなサッカーを見せてくれるのか楽しみですね♪
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は、タイ代表の新監督に就任した西野朗監督のプロフィールや経歴、タイトル獲得数について紹介させていただきました。
Jリーグのタイトルを全て獲得した西野監督。
60歳を過ぎてから外国の代表監督を率いるそのパワーには驚かされるばかりです。
今後のタイ代表にも注目していきましょう♪
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
西野監督率いるU-23タイ代表も参加する「U-23選手権タイ2020」に関する記事はこちらから →U-23選手権タイ2020はいつから始まる?出場国や組み合わせ・テレビ放送についても |